「イラン:ふしぎの国」 <第4回>「せつなさといとしさと──ペルシャ語とペルシャの音楽」 |
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シーラーズで夕食後、散歩に出た。すぐ近くに小さなアーケードがある。何が売られているのかな、と興味津々でのぞくと、なんと半分以上が楽器屋さんなのだ。 お琴と小型ピアノの中間のような弦楽器の音が響いてきたので、そちらに吸い寄せられた。小さな店内では、竹野内ユタカを30倍くらい知的にした男性がお琴のような楽器の音合わせをしている。 ガラス越しにのぞきこむと「どこから来たの?」とにっこり。 「日本から。ねえ、その楽器は何? とてもいい音色ね」 「サントゥールというんだよ。弾いてあげようか」 「うんうん、お願い!」 イランの竹野内ユタカはサントゥールを窓際に置くと、茶筅のようなバチを両手の親指と人差し指でつまんで、なんともふしぎな曲を演奏してくれた。ところどころ半音ずれた音階で、緩急のリズムが独特。西洋音楽とはあきらかにちがう。どちらかといえば、雅楽の響きに近いか。とにかく響きがすばらしく、余韻が耳に心地よい。 演奏が終わると、夫と拍手。「すばらしい! マーベラス!」 ああ、こういうときに一言でいいからペルシャ語が感動を伝えられたらいいのに。 店の中にあるほかの楽器も教えてもらう。 瓢箪のような弦楽器はタール、ウリ型のシタール。どちらも軽やかな音が出る。小太鼓のソールノー、牛の皮をはった直径70センチくらいの巨大な打楽器、マイケ。 別の店では、マイケの先生という人がいた。体格がよくて、マイケが負けてない。私などは持つのがやっとで、ろくに音さえ出ないのだが、先生は軽々とマイケを振りまわしながら、こぶしと掌と肘でたたく。店にいた生徒のタールと合わせて演奏してくれたのだが、そのバラエティにとんだ豊かな音色に驚いた。
シーラーズからイスファハンに向かう7時間以上のバス旅の間、運転手さんはずっとラジオでイランの音楽番組を聴いていた。 長く引っ張るような、もの悲しく、せつない声が車内に響く。コーランの節回しと似ている。でも歌われている内容は、恋の歌だったり、ときには人生を賛美するものだったりするそうだ。車窓の土漠の光景と、その音楽は合っていた。 よくわからないなりにもっと言えば、ペルシャ語の響きとサントゥールやタール、マイケの音色は合っている。言葉の持つリズム感と、楽器が奏でる音がしっくりと合わさり、意味がわからないなりに、一種のカタルシスを感じる。
イランの現代音楽のCDが欲しいと、テヘランでも探しまわったのだがなかなかない。ショッピングセンターにはあるよ、とガイドさんが言うので、ついて来てもらって「一番流行っている歌」を買う。 シャドマールという男性歌手。流し目で哀しげな顔をしている。イラン・イラク戦争で両親を亡くした戦争孤児なんだそう。だからか、歌はせつなく、哀愁に満ちている……ように聞こえる。 「長い歌ですね。なんて歌ってるんですか?」ガイドさんに訊いた。一瞬迷った顔で、ガイドさんは答えた。「えっと、私は田舎者、と繰り返し歌っています」。爆笑した。女たらしの顔して、私は田舎者、はないだろう。新沼ケンジか、あんたは。 空港でやっとサントゥールの有名演奏家のCDを見つけた、とオノセさんに教えてもらって購入。600円くらいだった。 日本で聴いたサントゥールは、なぜかイランで聴いたときよりも、華やかで騒々しく金属的に聞こえた。やっぱりペルシャ語が飛びかう、土漠の乾いた空気の中で聴かないと、あの胸にしみいるせつなさは響いてこないのかもしれない。 |
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