「イラン:ふしぎの国」 <第2回> 北風と太陽-イラン女性はいつベールを脱ぐか?- |
||||||
|
||||||
イスファハンのバザールでマクナエを買った。 マクナエというのは、頭から肩までをすっぽり覆う頭巾である。イラン女性は外出のとき(自宅でも父親をはじめ男性の前では)、13歳からこのマクナエをかぶる。これにチャードルという長いベールをかぶるか、ふくらはぎまでの長いコートを着る。 マクナエは一辺50センチほどの四角い布を半分の三角に折って、直角二等辺三角形の一辺を半分まで縫っただけの簡単なものだ。ちなみに、1枚1万2000リアル=200円弱だった。 さっそくかぶった。 暑い! ヤズドは土漠の町で、日中は日向で35度くらいあるのだ。湿気こそないが、かーっと暑い。頭はかゆくなってくるし、首筋がむしむしする。私は旅行者だから腰まで隠れる服でごまかしているが、イラン女性はこの上にベールだ。
「マクナエやベール、コートなしに外出したら、逮捕されるんですか?」 現地ガイドのアセミネさんに訊いた。 「いや、逮捕はされないけれど、注意されるんです」 「なんて?」 「ちょっとそこ、かぶりなさいって。男性や年上の女性たちがやってきて言うんですよ」 「勇気ある女性たちが、徒党を組んで無視すればいいじゃないですか」 「そうはいかない。社会的な拘束力は大きいから」 「女性たちは何とも言わないの?」 「言わないけれど、若い女性たちはみんな脱ぎたいと思ってますよ。きっかけがあれば、脱ぐんじゃないかな」 きっかけ。それはなんだろう?
シーア派イスラム教徒の国イランでは、女性の服装や素行に対して厳しい社会的戒律がある。服装はもちろん、女性の写真を新聞・雑誌に掲載することは許されない。全身写真はもちろん、顔写真だってだめだ。女性の歌手やタレントはいない。女性的魅力を売り物にすることは、法律で禁じられている。ファッション雑誌もないし、あたりまえだが美人コンテストもポルノ映画もない。映画女優はいるが、出演するときには必ずチャードル姿だ。テレビキャスターもきっちりマクナエをかぶって、長いコートを着ていた。 片倉もとこ「イスラームの日常世界」(岩波新書)によれば、ムスリムの社会の人間観は「人間は本来弱いものだ」という「性弱説」なのだそうだ。誘惑に負けそうになるものだから「不特定多数の男女が肌をみせて接触していると、弱い人間のこと、乱れるにきまっている」。とくに男は誘惑に弱いから、女はベールをかぶって協力しろ、というのだそうだ。男が誘惑に負けないように精神を鍛えろ、と西欧的「人間性強説」にならされた身としては思うのだが、そこが大いなるちがいである。
真っ黒で重苦しく暑苦しい格好の女性たちを見ていると、それは「女性に対する抑圧」ではないか、と言いたくなるだろう。抑圧がない、とは言わない。しかし実際にイランに行ってみて、はたしてベールが単純に女を男に従わすための枷かどうかと考えた場合、ちょっとちがうと思った。 イランの人たちが愛想がいい、と第一回に書いたが、それは女性も例外ではない。それどころか女性のほうが積極的に話しかけて、貪欲に話を聞きたがる。遠足に来ている小学生から子連れのママから八百屋のおばさんまで、陽気で好奇心旺盛であけっぴろげで、つまりは人生楽しそうなのだ。そしてかわいく美しい。表情が豊かでいきいきしているから、よけいにそう感じる。 イランでは、都市部・地方も含めて就業年齢にある女性たちの10人中3〜4人は働いているそうだ。四年制大学の学生200万人のうち、半分は女性だ。それも医学部・法学部・工学部への進学率が高い。なんでも男女がきっちり別々のこの国では、働く場所も別。女性だけの病院、学校、工場となる。だから医師も看護婦も先生も、工場長も職長も女性。どこかの国みたいに、管理職は男、事務職は女、ということがない。女性は労働力として専門的技術や知識を身につける必要があり、またそれを磨くチャンスを与えられている。皮肉なことに、男女の職業上での平等はむしろムスリム社会のほうが進んでいるかもしれない。 また女性を性的な対象として商品化することが禁じられているために、かえってのびのびしているのではないか。性的魅力、ひいては年齢や容貌で女性の価値を判断されにくい社会であることが、黒い布で全身をすっぽり覆う服装は、ある意味で女性たちを解放している。住んでみないとなんともいえないが、少なくとも私たちに話しかけてきた女性たちの輝くような笑顔を見ていると、そう思える。
女性たちがベールを脱ぐとしたら、そのきっかけは「革命」とか「女性解放運動」といった「力」によるものではないと思う。働く女性が増えるにつれて、ベールが邪魔になり、なんとなく脱いでしまってそのまま、というくらいなのではないか。それも全員がいっせいに脱ぐのではなく、徐々にゆっくりと広がっていく。 私が想像するのは「暑いわねえ。今日はちょっと軽装にしてみようかしら」とまずはチャードルを脱いで七分袖くらいのジャケットになる。つぎにマクナエやスカーフが小さくなっていく。そのうちにぽつぽつと、軽装の女性が出てくる……そんなゆるやかな変化で始まるのではないか。 外からの大きな北風のような力ではなく、しだいに太陽によってあたためられていくうちに、服装の拘束がゆるんでいく。イランの女性たちを見ているとそんな気がする。 ところで私のマクナエ姿であるが、ガイドのアセミネさんが感心したように褒めてくれた。 「めちゃめちゃ似合いますね」 「え、そうですか? うふふ、イラン女性みたい?」 「いや……どこの国の人かわからない感じだけれど……とにかく、それだけ似合う人はイランにもいない」 本当に私は褒められたのだろうか? |
||||||
Pink Champagne ●第1回 ●第2回 ●第3回 ●第4回 ●第5回 | ||||||
|