Top <BACK NEXT
誘う乳房
60年代――乳房はどんどんおしゃれになる(1)

 一生「女」として生きていきます!

 戦後、めざましい経済復興をとげた日本は、いよいよ本格的な大量生産・大量消費の時代に突入する。1959年の皇太子(現天皇陛下)ご成婚をきっかけに、テレビが爆発的に普及し、冷蔵庫、電気炊飯器、掃除機などの家電も飛ぶように売れた。そして女性たちは家事がラクになってあまった時間とエネルギーを、おしゃれや趣味に費やすようになる。三食昼寝付などという、主婦の気軽さを冷やかす言葉が流行した。女性が妻でも母親でもなく、女として生きていくことを肯定する空気は、60年代から生まれたのだといま振り返って思う。
 そこで、乳房を筆頭にセクシーな身体への関心は50年代に比べると飛躍的に高まっていく。テレビという大衆メディアを通して、女性の性的な魅力は、格別に売れ行きのいい商品として「お茶の間」といわれる空間にまで安価に大量にお届けされるようになった。キワモノ扱いされていた「セクシー」が、どんどん肯定されていくようになる。「成人男性」と一部女性だけのものだったセクシャルな乳房に対する興味が、子どもからお年よりにいたるまでわいてくるのが60年代だ。大きな乳房を「ボイン」と呼ぶ流行語も生まれた。

 おしゃれな乳房が欲しい!

 だが一方で、関心のある層の幅が広がったことと、しだいに目が肥えてきたこともあって、人々はただ大きいだけの乳房をセクシーと感じなくなってきた。乳房の審美性も価値も、ほかの商品と同じように多様化していくのである。
 身体の魅力を演出するための小道具も、機能性以上にファッション性が求められるようになった。1960年から第3次下着ブームが始まる。普及期→伸縮素材採用による機能革命期を経て、3回目のブームを支えたのは下着のファッション革命だった。色、柄、デザイン、上に着るものとのコーディネイト、ちらりと見せる演出など、現在につながるファッション性が下着に求められるようになった。身体を隠すための下着ではなく、身体を美しく見せるための下着のはじまりだ。
 いまでは信じられないが(いや、信じられるか?)、白以外の色の下着をつけると「ふしだら」とされていた時代が長く続いた。たぶん70年代ごろまで、黒や赤のブラジャーをつけると「あの人、すごい遊んでいる」と後ろ指さされる女子高生などがいたという。下着は白――その常識を打ち破って、デザインも色もバリエーションが多くなってくるのが60年代からだ。
 ファッショナブルになっていくブラジャーに呼応するように、乳房にもおしゃれ観が求められるようになった。流行の服をかっこよく美しく着こなせるようなバストを求めて、女性たちはブラジャーを選んだり、ときにはダイエットや美容体操で身体改造に励んだ。服に身体を合わせる――つまり身体そのもののファッション化も、60年代から始まっていく。

 大きいだけじゃイヤ

 「バストの大きい女性は頭が悪い」というアメリカの産婦人科医が出したトンデモ学説が象徴しているように、50年代の巨乳ブームは60年代に入ると一気に沈静化する。
 乳房の審美観はどんどん多様化し、同時にセクシャルな乳房に対するタブーもしだいに緩和されていく。乳房のエロティックな魅力がマスコミで堂々と語られる機会も増えていった。そこで登場したのが「少女的エロス」である。肉体的には子どもが産める準備が整っているけれど、社会的・精神的にはまだ子どもとされている年齢の女性たちのセクシュアリティに目を向ける風潮が、60年代あたりから出てくる。この手のエロスに関する研究(?)では、フランスの右に出る国はない。フランソワーズ ・サガンの「「悲しみよこんにちは」が日本でも大ヒットして、「少女的エロス」の持つ甘さと恐ろしさが認知されていく。
そこで注目を浴びたのは、2タイプの少女たちだ。1つは「小悪魔」タイプ。顔や言動は少女だけれども、カラダもセクシュアリティも完全に成熟した女性で、自分の持つエロティックな魔力の力の大きさをよくわかっているタイプ。「見せる」ほうに力点をおくといってもいい。もう1つが「純情可憐」タイプである。こちらは「隠す」ことで、かえってエロスを感じさせる。どちらも少女であることが、ポイントだった。

 あなたを狂わせる小悪魔

 1959年に日本でも公開された映画『可愛い悪魔』で、主演のブリジット・バルドーは、いまから見ても露出度が非常に高いビキニ姿で登場した。バルドーは身長166センチ、体重55キロ、BWHは99−49−89という恐ろしいほどめりはりのきいたボディである。顔立ちはかわいらしく、あどけなく、幼女のよう。それなのに身体はセクシー。顔とボディのアンバランスな組み合わせが、男心を燃え上がらせる……といわれた。いまでもセクシーなアイドルになるには、幼女顔に巨大バストの組み合わせが有効だ。アグネス・ラムを、そしていま日本で注目の酒井若菜を見よ!
 だがバルドーの魅力は、顔とスタイルだけにとどまらなかった。映画のタイトルと同じように、彼女の魅力は「かわいい」ことと「悪魔的」なところがくっついたところにあったのだ。あどけなく純真な子どものようで、だからこそ自己中心的でわがままで気まぐれで、でも身体はセクシーで性的に成熟していて、そのために男性を滅ぼしてしまうかもしれない魅力を持っている――そういう女性を「小悪魔」と呼ぶ。で、小悪魔的女性が日本で公に認知されるようになったのは、ブリジット・バルドーが日本でもアイドルとなった60年代に入ってからである。

 スキャンダルも甘い魔力に換えてしまう

 日本にも日本版「小悪魔」が生まれた。代表格は加賀まりこと山本リンダだ。いまでは歯に衣を着せずにずばずば話す毒舌女優のように思われている加賀まりこだが、六○年代には猫のように気まぐれで、小柄でほっそりと見えていてもめりはりのあるセクシーな身体で男性たちの心をつかんでいた。いま、当時の彼女のヌード写真を見ても、小悪魔的魅力にあふれている。その乳房は意外なほど量感があり、形も丸く張りがある。六本木で遊んでいたところをスカウトされた、という経歴といい、華やかな男性遍歴を隠さないことといい、のちに未婚の母となって日本中を騒がせた「事件」といい、スキャンダルさえも自分の魅力にプラスしていくいさぎよさと図太さを併せ持っている点は、ブリジット・バルドー以上の小悪魔ぶりである。
 もう一人の小悪魔が山本リンダである。六六年に「困っちゃうナ」という舌足らずな口調で、冗談みたいな歌詞の歌を歌ってデビューした山本リンダは、いまでは差別用語になってしまったハーフであり、その魅力を存分に発揮したスターだった。抜群のスタイルと、エキゾチックはくっきりとした目鼻立ち、甘えたようなしゃべり方が特徴というか魅力。一発屋かなと思っていたら、数年後に「噂を信じちゃいけないよ〜」といきなりヘソ出しのセクシーなファッションで踊って再デビュー。歌のタイトルどおり「どうにもとまらない」状態で、一気に色気プラスダンス路線の定位置を獲得してしまった。

 計算をしないことで悪魔はいっそう怖くなる

 彼女はブリジット・バルドーをかなり意識させた加賀まりことはちがった意味で、小悪魔である。まず計算している風がない。スキャンダラスな歌やダンスで売っているのに、汚れた印象を与えない。それに自分の小悪魔的魅力をどう演出するかを意識していなさそうだ。一方で、ふとした視線や谷間をさりげなく見せるブラウスのボタンの開け方に、抗いがたいセクシーな誘惑を感じさせる。山本リンダ的小悪魔は、その後吉川ひなのなどに引き継がれていくのだが、リンダほど強烈な小悪魔になりきれていないのは、どこかで「こうすればセクシーでかわいいわよね」と計算してしまうところが見え隠れするからではないだろうか。
 元祖小悪魔のブリジット・バルドーは、ぶよぶよに太って、いっちゃ悪いがその容姿は本物の悪魔に近づきつつある。一方で加賀まりこは大物女優としての風格が漂うが、かつてあった小悪魔の危険な毒は感じさせなくなった。山本リンダは相変わらずセクシーだが、無意識にセクシーを演出するにはとう立ちすぎた。小悪魔は、もしかしたら二十代前半で神通力を失ってしまうのかもしれない。

 「純情可憐な少女の色気」の発見

 12、3歳から18歳くらいまでの思春期にある少女たちは、純情可憐という言葉で表現されてきた。だがその年頃の性的な魅力について真正面から認める文化は日本にはなかったように思える。幼さから抜け出してはいるが、精神的にも肉体的にも成熟した女性とはいいがたい時期の少女のセクシュアリティに、にわかに注目が集まるのが1963年あたりから。その年「少女フレンド」「マーガレット」という少女漫画雑誌が創刊された。主としてほんわかとした青い恋愛を扱ったこの2冊は、少女たちの必読書となる。そしてこういった少女雑誌の表紙を飾っていた常連が内藤洋子だ。
 内藤洋子のトレードマークは広い額と長い髪だった。抜けるような白い肌と長い髪。大口を開けて笑うことなどまずないだろうと思わせる小さな口元。「清潔感(つまりは性的なにおいがしない、ということ)」と「しとやかさ(性的に晩生だということ)」が憧れの純情可憐少女像のキーワード。

 少女像を完璧にする紺色ワンピースの少女ファッション

 だが、現実には思春期の少女は性に目覚める年頃であり、にきびも出れば、生理もあり、恋愛なんてものにも興味津々。憧れの少女像と現実のわが身の姿とのギャップに悩む、というのがほとんどの少女たちだった。私もおせんべいをかじりながら少女雑誌を読み、にきびが少しずつ出始めた顔を鏡で眺めるたび、また箸が転げてはバカ笑いをするたびに内藤洋子との落差に悩んだ記憶がある。
 内藤洋子がよく着ていたのが、白い襟のついた地厚な生地の紺色のワンピースだ。これは憧れの少女ファッションの典型といっていい。ふくらみはじめた乳房や、丸みを帯びてきたヒップを隠し、セクシュアリティを感じさせずにエロティックなものを感じさせるという高度な技を決めるのに必須のファッションだ。
 少女は「性」を感じさせてはいけない。性的な特徴をできるだけ「隠す」ことによって、エロスを漂わせる――そんな少女的エロス、少女型乳房を人々が「発見」した六○年代から、アイドルはどんどん低年齢化していく。そして少女的エロスを脱して、大人の女性のエロスへとうまく移行できるかどうかが、その後の少女アイドルの課題となる。賢い内藤洋子は、十九歳で芸能界を引退し、作曲家の夫とともにアメリカに移住してしまった。そして彼女が成熟した女性になったらどんな感じだったかは、娘の喜多嶋舞が成人するまで待たなくてはならなかった。

Top <BACK NEXT

本サイトの掲載文ならびに掲載写 真、イラストの無断使用を固く禁じます。
All Rights Reserved.Copyright(C)2000-2003 Motoko Jitsukawa
design,illustration&maitenance by ArtWill
グラマラライフトップページへ