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「プアーからグラマラスへの道のり」 入口未母 |
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やっと見つけた!
相談者:私は胸が大きくて悩んでいます。
どうしたらいいでしょうか?
それはティーンエージャーが読む女の子雑誌の相談コーナーに載っていた10代の読者からの投稿で、私は自分と同じ悩みを持つ人を初めて発見したのだった。誰にも率直に相談できず、またその悩みを他人に知られたくもなく、私は一人解決の糸口すら見つけられずに毎日をもやもやした気分で送っていた。
しかし、その相談への答えは次のようなものだった。
回答者:あなたの悩みは贅沢です。世の中には胸が
小さくて悩んでいる人が大勢いるのです。
これでは何の解決にもならない。相談者も相談した甲斐がないだろう。
私は回答者の無能さに呆れ果てた。小さ過ぎることは悩みになるけれど、大き過ぎることだって悩みになるのだ。両者は「ちょうど良い大きさ」を求めて相談しているというのに、この回答はけしからん! そんな怒りを抱きながら、雑誌をパタリと閉じた。1980年を目前にしたある日のできごとである。
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当時の私は中学生で、思春期のド真ん中。第2次性徴期の不安定な心と、どんどん膨らむ胸、そして過剰なほどに気になる他人の視線にクラクラしながら過ごしていた。
悩み事は胸の大きさだけではなかったが、この問題は精神的にも肉体的にも私の生活上の負担となっていた。
私の胸が膨らみ始めたのは小学校5年生のときで、最初に左胸に小さなしこりができ、触ると痛くてガンではないのかと死を覚悟しかけたが、それは乳房のはじまりであった。同じ時期、クラスメートにも同じような兆候は見受けられた。そのうち私の右側の胸にも触ると痛いしこりができて、左右対象に胸は発達を開始したのだった。
クラスメートたちは互いに身体の成長に興味津々だったが、気恥ずかしさからか、あまり真面目に話し合うことはなく、私もほとんどその話題に触れることはなかった。
胸の成長はスタート時にさほどの差がなくとも、その成長過程には個人差がある。私の胸の成長は加速し、周囲を振り切る勢いで変化を遂げていた。
クラスメートたちの胸がまだ分からないほど小さく秘められたもののようなころ、私の胸は確かに乳房と化していた。私の胸を見てニヤニヤしながら「ボインちゃんだね」と言った女の子がいた。私は、好きでボインになっているワケじゃないんだ、と言いたかったけれど言わなかった。何故かひどく罪悪感のようなものを抱いていたから、胸の話題には触れて欲しくはなかった。
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中学校への入学を機に私はブラジャーをつけることになった。同じようにクラスメートたちの多くがブラジャーをつけ始めていた。初めてのブラジャーに私も周囲のみなも興味津々で、さまざまな情報交換をした。と言っても、ブラの色とか、ホックの数とか、今思えば他愛のない話である。
しかし、その中で本来は重要な話であるサイズの話が、そのときにはあまり重要視されていなかった。今では最重要視されているであろうと推測されるが、私が中学生であった1970年代後半はサイズのことなど誰も気にもしていなかったように思う。
そして、多くの女の子たちは65Aとか70Aなどのブラジャーを身につけていたし、私もその一人であった。
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しかし、私の胸は65Aとか70Aのサイズではなかったということが後日下着専門店にて判明した。バストカップが合っておらず私は小さめのブラジャーを着けていたのだった。どうりで窮屈であった。私は自分のサイズに合ったブラジャーを購入することになったのだが、それは破格な値段でAカップ、Bカップの10倍近くもしたのだった。
さらにキビシイことには、ブラジャーの色や柄などのデザインであった。サイズの関係で国産品は限りなく少なく、数少ない輸入された海外製品の中から選ぶことを余儀なくされた。
店頭には紫色などのギトギトにセクシーなブラジャーしか置いていないこともたびたびで、当時はぶりっこ聖子ちゃん全盛期であり10代半ばのヴァージンだった私はそんな下着を身につけることが憂鬱であり、拒否反応を示していた。 だからブラジャーは2枚くらいしか持っていなかった。しかも、それは国産製品で中年のオバサンが着けるような、くすんでグレーがかったベージュのブラジャーなのだった。それを毎晩ていねいに手洗いした後、部屋の片隅に吊るして干し、交互に使用していた。なんたって1万円くらいする高級な下着なのだから。
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当時は下着の問題だけではなく、他人の視線も気になった。それは男女を問わず刺すように感じられたのだった。
性に過剰な興味を示す10代半ばごろの男女は、その身体的特徴を詳細に観察し見逃さない。それどころか、素直な感想としてそれを述べるものだ。異性は率直に述べることを避けるけれど、同性は容赦がない。
私は胸を中心にジロジロと眺め尽くされたうえ、同性からはバストのことでからかわれた。痴漢に後ろから胸を鷲づかみにされたこともあるけれど、友人である同性からのからかいは、痴漢に勝るとも劣らないブルーな気持ちにさせた。
私はそれから猫背になって、胸の大きさを人に知られないように暮らすようになった。
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また前述したように自分のバストに合うブラジャーが高価であったので、なかなか買えず、次第に私はカップに合わせず、トップバストに合わせたブラジャーを身につける術を覚えた。これなら窮屈でもなく、また高価な支払いをすることもせずに済む。そう思った。私はその後ずいぶん長い間、サイズの合わないブラジャーと共に暮らすことになった。
サイズの合わないブラジャーとは、アンダーバストとトップバストのサイズが合っていないことである。この二つが合っていないと、早足で歩いただけで肩のストラップがずり落ち、ちょっとした動きでも乳房の位置がブラから外れるという決定的な欠落点がある。
だから大きな動きができなくなって、必然的にスポーツからも遠のいてしまった。あらゆる場面で遭遇する身体的な制約を感じながら、10代の私は生活していたのだった。
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長身でもないのに姿勢を猫背にしてバストを隠し、ブラジャーが身体に合わないせいで身動きにも制限があり、非常に制約の多い10代後半から10年以上もの歳月を送ってしまった。
ここ数年の間にようやく自分に合うサイズのブラジャーが市場に多く出回るようになった。お茶目で可愛いものからシックで大人しいものまで、もちろんセクシー路線も含めその種類やデザインは豊富だ。以前の価格の10%程度で買える商品さえある。
私のグラマラス・ライフはバストの大きさではなくてブラジャーの豊富さに重点を置いているのかも知れない。
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